世界の基準が置かれて以来隠されてきた事柄(2)


最近は、寒いのか暖かいのかわからない日々が続いています。

今日も仕事を終え、

自分でスパゲッティを作って食べ終わったところです。

古代ユダヤ人がどうやって日本にやってきたかについて、

一つの手がかりみたいなものがわかりました。

前に役所広司さんが、シルクロードの天山山脈に登る、

ドキュメンタリー番組がありました。

その映像の中で役所さんが、峠にさしかかって、

その峠の名前がでたのですが、ベテル峠という名前だったのです。

ベテルは聖書に出てくる名前でヘブライ語です。

ベイト・エルつまり『神の家』という意味です。

天山山脈をヘブライ人が通った痕跡です。

私が前にキリスト教に気をつけろということを書きましたが、

キリスト教道徳は聖書とは反対の価値に

もとづいているということです。

たとえばキリスト教は性を否定的にとらえていますが、

それはパウロの価値観であり、イエスとは全く関係がないのです。

聖書は聖なる女は娼婦であると、示唆をしています。

それは自分からヒエラルギーの下に向かう女が

いちばん優れているということです。

聖なる女は処女マリアではないのです。

聖書とキリスト教の清い、汚ないの観念は正反対と考えてください。

性的に清いということを権力志向の人は持ちやすいのです。

いまだに国家権力が性を規制するのは、

宗教の性道徳が習慣となっているからです。

もうそろそろ、宗教が行ってきた悪事を

終わらせなければなりません。

サタンはヘブライ語ですが、日本語で『告発する』という意味

であることを以前書きました。

何を告発するのか?

『すべての人には罪がある』と告発するのです。

生まれたての赤ん坊にも罪があるとする

キリスト教や宗教はサタンの思想を中心にしています。

みなさん、宗教には気をつけてください。

巨大な蛇の力、ヒエラルギーとわたしは戦い続けます。

今日はこの辺で書き終わります。

日々のつれづれ(2)


最近はあまり書かなくて申し訳ないです。

毎日仕事でそれを消化するのでいつぱいいつぱいです。

今日は疲れを取るために一日中寝ていました。

私の小さな幸福は、願いが叶うなら、家庭を持つことです。

普通の人の幸福でさえもわたしには

与えられていないのかもしれません。

イエスは『過ぎ去り行くものとなりなさい』といいました。

現実に痕跡を残さず、無名のままで、人生をとおりすぎていくこと。

私のこのブログは、あまりたいしたことが書けていませんが、

一人の覚醒した人が、現実にどれだけの人たちに

同じように本来的自己を獲得した方が

人生は楽に生きられるということを

少ない言葉で広めようと書き出したブログです。

真理はそんなに複雑に出来ているものではありません。

また、今まで真理を書いた人はいません。

仏陀もイエスも本を残していないし、

歴史上で覚醒した人もことばを残してはいないのです。

昔、臨済宗の大徳寺の龍光院でわたしが下宿をしていたとき、

有名な和尚さんとして知られていた小堀宗伯さんは、

『本を書く人にたいした人はいない』と言っていました。

禅の立場である『不立文字』を意識していたのかもしれませんが、

河合隼雄さんや、梅棹忠夫さんとの交流があった人が、

晩年に言っていました。小堀宗伯さんは、禅の学者だった

鈴木大拙の一番弟子で、鈴木大拙の英語で書いた本の和訳や、

エーリッヒ・フロムと鈴木大拙の『禅と精神分析』の

翻訳をしていました。それ以上に人格的にすぐれていたひとでした。

和尚さんとの思い出はいくつもありますが、

私は宗教は間違っていると思います。

宗教とは離れたところで、

本来的自己を語れないかと思っています。

今日は生意気なことを書いたかもしれませんが

この辺で書き終わります。